なぜ意見が合わないのか
「なんでこんな簡単なことが伝わらないんだろう」「どうしてそんな意見になるのだろう」と思ったことが、誰しも一度はあるはずだ。
自分の中では筋が通っているつもりの発言が、相手にはまったく違う形で受け取られる。逆に、相手にとっては当たり前の反応が、自分には理解しがたいものに映ることもある。
こういうすれ違いが起きたとき、つい「相手の理解力不足」や「相手の性格」のせいにしてしまいがちだが、実はもっと単純な理由であることが多い。そもそも、自分と相手は同じ景色を見ていない。
視えている世界は、人によって違う
仕事のポジション、抱えているプライベートの事情、これまでの生い立ち。これらが違えば、同じ出来事を見ても感じ方はまったく異なってくる。
例えば、仕事上、簡単に視えないものとして自分より上の立場の人の判断、行動がある。
組織は基本的にピラミッド構造であり、ピラミッドの上に上がれば上がるほど、得られる情報量が変わっていく。どこまでいっても、ピラミッドで自分より上の人たちと同じ情報量にアクセスできることは、組織の仕組み上あり得ない。

得ている情報が異なれば、意思決定や行動が変わる。自分のマネージャーやさらに上の経営層の判断に関して疑問を持ったとして、自分が同じ情報量で同じ立場に立てば、同じ判断を取るかもしれない。
また、例えば、パートナーと生活する中で、時に喧嘩をすることもあるだろう。もちろんぶつかった内容によってはどちらかが悪いということもあるだろうが、そうではなくグレーゾーンなものも多数あると思う。
異なる生い立ちを持つ2人が一緒に暮らせば、自分にとっての正しさと相手にとっての正しさがずれることも当然あり得る
だからこそ、価値観の擦り合わせが必要であり、これこそ相手が視ている世界を理解しようとする取り組みだと思う。
これは、誰かが正しくて誰かが間違っているという話ではない。
単純に、その人がこれまで積み重ねてきた経験や、今置かれている状況というフィルターを通して、物事を視ているからにすぎない。
眼鏡というフィルター
このフィルターのことを、自分は「眼鏡」と呼んでいる。
人はそれぞれ、自分専用の眼鏡をかけて世界を視ている。仕事の役割も、過去の成功や失敗の経験も、今の生活状況も、すべてこの眼鏡のレンズを形作る要素だ。
厄介なのは、この眼鏡は本人にとってはあまりにも自然にかけているものだから、自分がどんな眼鏡をかけているか、本人はほとんど自覚していないということ。眼鏡を通して視ている景色を、そのまま「客観的な事実」だと思い込んでしまう。
だからこそ、意見の対立が起きたとき、多くの人は「相手の意見がおかしい」と考えがちになる。
眼鏡を外すことはできなくても
正直なところ、自分の眼鏡を完全に外すことは難しいと思っている。長年かけてきた眼鏡は、もはや自分の一部のようになっていて、意識してもなかなか外れない。
ただ、外せなくても、次の2つはできる。
1つは、「自分は今、何かの眼鏡をかけて物事を視ている」と自覚すること。これだけでも、意見の違いに対して「相手がおかしい」ではなく「視ている景色が違うだけかもしれない」という受け止め方ができるようになる。
もう1つは、相手がどんな眼鏡をかけていそうかを想像してみること。相手の立場、相手が最近置かれていそうな状況、相手のこれまでの経験。完全には分からなくても、想像しようとする姿勢自体に意味がある。
自分の眼鏡を通した景色を、いったん脇に置いてみる。相手の眼鏡から見える景色を、少しでも想像してみる。地味だが、これができるかどうかが、結局のところ人との関わり方を大きく左右するのだと思う。